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3/11東日本大震災4周年 台湾在住日本人の感謝活動報道(動画と訳)

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3/11東日本大震災4周年 台湾在住日本人の感謝活動報道(動画と訳)

3/11 東日本大震災4周年,
震災後、台湾からの寄付や援助が世界一だったことは
日本でも、よく知られていますが
台北のレストランでは、日本人オーナーが、
3/11から一週間カレーを1日300皿無料で提供して「恩返し」をしたり
日本人留学生達が集まり感謝活動をしてネットに流したり…という
報道動画をYouTubeで見つけました。

[東森新聞HD]日籍老闆辦311感謝周 連7天咖哩飯免費

( 動画の中国語に、ざっと意訳をつけます。)

把熱騰騰的咖哩醬淋在白飯上,這一盤店裡的招牌必點
從3月11號開始,連續一個禮拜要免費送給客人吃,
為的是感謝台灣當年的義舉。

熱々のカレーがかかったライス、このお店の看板料理ですが、
3月11日から続けて一週間、お客さんに、無料サービスが行われます。
(震災)当時の台湾のチャリティに感謝するためです。

日本食レストラン伊藤店長:
「真的有很多的日本人愛上了台灣這些人,
然後原本就愛台灣的人就是更熱愛台灣,就是很感謝台灣。」
「本当に、たくさんの日本人が、台湾の人たちが大好きになったんです。
そして、もともと台湾が好きだった日本人は、もっと台湾が好きになって、
とても台湾に感謝しているんです。」

原是因為,日本311大地震,台灣捐贈了200億日幣 (約新台幣62億)
創下各國之最,讓這家餐廳的日本老闆心存感念,
發起311感謝周活動,連續七天顧客來吃咖哩飯,老闆免費招待。

実は、3月11日の東日本大震災で、台湾が200億円(約NT62億ドル)
という世界最高の寄付をしたことで
このレストランの日本人オーナーは深い感謝の念を心に抱き、
3/11感謝週間活動を始めたのでした。
7日連続、カレーを食べに来るお客さんに、お店のおごりサービスをします。

店の外の女性
「會來吃吃看。一定會來吃吃看。或是有機會可以帶家人一起來吃吃看。」
「味見に来ます。絶対、味見しに来ます。ひょっとしたら、家族を連れて食べに来れるかも。」

ウェイターさん
「這是今天送你們的炸豬排」
「こちらは、本日サービスのトンカツです。」

お客さん
「啊,謝謝!」
「あ、どうも」

儘管日本311地震即將屆滿四周年,但日本人仍然滿懷感謝,
去年這間拉麵店老闆就推出送豬排活動,向台灣人大唱感恩的心。

3月11日の大震災から、もうじき4周年になりますが、
日本の人々は、今も、感謝の気持ちで、いっぱいなのです。
去年、このラーメン屋さんのオーナーは、トンカツ無料サービスで
台湾の人達の恩に大きく感謝しました。

オーナーの野崎孝男さん:
「我沒忘記我來台灣之後很多台灣人的幫忙。」
「台湾に来てから、たくさんの人が助けてくれたことは忘れていません。」

還有日本正妹石黑亞實,每年還會號召日本留學生,在台灣辦活動,還把它拍成紀錄片在網路放送。

そして、日本の美人ギャル石黒亜実さんは、毎年、日本人留学生に声をかけ
台湾で感謝活動を行い、さらに、そのドキュメンタリーをネットで放送しています。

石黒亜実さん:
「台灣是在世界上幫助日本最多的國家,從東北大地震,已經過了四年了,
但是我們認為,不管過了多久絕對有著不能忘記的事情。」
「台湾は、世界で、一番、日本を助けてくれた国なんです。
東北の大地震がら、もう4年たちましたが、
どれだけ時が過ぎても絶対忘れてはならないということがあると
私たちは思っています。」

不忘台灣曾經伸出溫暖的雙手,在台的日本人透過各種形式,表達心中滿滿的感謝。

台湾が、以前、差しのべた暖かい手を忘れない…、
台湾に暮らす日本の人たちは、様々な方法で、
心いっぱいの感謝を表しています。

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充心感謝台灣!
A friend in need is a friend indeed
苦しい時にこそ真の友がわかるというものでございます。

***

震災2年後、2013年WBC( 野球W杯 )の際は
台湾代表の清々しさが感動を呼んだだけでなく、試合前には
もののふ庵 @KawagoeMononofu さんが
Twitterで「台湾に感謝しよう」と呼びかけ
日本側の応援席にも「謝謝台灣」のプラカードが並び
それが台湾にも紹介され両国で評判になっていました。

WBC台湾ナインのお辞儀の秘密 (台湾 日本 / Taiwan Japan)

***

犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
また、今もまだ、仮設住宅住まいの方々の生活が
一日も早く、少しでも正常に近くなりますように。
愛する人を失った痛みは消えることはないけれども
せめて、生活の場だけでも、政府が責任をもって整えてほしいと思います。
中東「援助」に2億ドル…の前に、日本の被災者…ではないでしょうか?

Bombing of Tokyo 英紙が伝える東京大空襲70周年 (追記3)

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Bombing of Tokyo 英紙が伝える東京大空襲70周年 (追記3)

今日、3月10日は東京大空襲の日。
東京生まれ育ちの私にとっては非常に重要な日でございます。
今年は70周年にあたるためか、英国の新聞でも取り上げられ
しかも、その内容が、かなり深く詳しく、また、東京大空襲が
原爆にも値する被害にもかかわらず、世界から忘れられてしまっている
と報道しているので、驚きました。

まずは、「高級紙」インディペンデント
( 記事全文をコピペし、ざっと意訳を付けます。)

On the 70th anniversary of Tokyo’s fire bombing, relatives are asking for a real tribute to its victims
東京大空襲70周年、遺族達が求める真摯な慰霊

It was just after midnight when the rumble of B-29 bombers was heard, jolting Tokyo awake. The incendiaries that fell from their bellies, full of jelly petroleum, were like nothing anyone had ever seen.
They turned canals and rivers into flame and if the jelly stuck to you, it kept burning till flesh turned to bone. “The planes filled the sky like dragonflies,” recalls Michiko Kiyoka. “Everywhere you looked there were charred bodies.”
真夜中をちょっと過ぎた頃、B-29爆撃機の音が東京の街を起こした。
機体の腹から落とされるジェリー状の石油がつまった焼夷弾、
それは、これまでとは全く違った。
焼夷弾は、上水や河川を火の海に変え、焼夷弾のジェリーが身体にひっつくと
肉体を骨まで焼き尽くした。
「爆撃機は、トンボの様に、空を埋め尽くしていました。」
と、清田ミチコさんは回想する。
「どこを見ても、真っ黒焦げになった遺体だらけでした。」

Today, Ms Kiyoka, now 91, will join a small group of elderly Tokyoites and mark the death of her father and sister in the 1945 firebombing, which killed about 100,000 people in the single night of 10 March.
今日、91歳になる清田さんは、高齢の東京都民による小さなグループと一緒に、
3月10日の一夜だけで10万人もを殺した1945年の空襲で亡くなった父と姉妹の死を記念する。

Tokyo Now and After The Air Raid

Because men of fighting age were away, most of the victims were women, the elderly and children. A US survey later concluded that probably more people lost their lives during the raid by 300 bombers than at any single moment in history.
兵役年齢の男性は召集されていたため、犠牲者の大部分は
女性、老人、子どもであった。
ある米国の調査は、後に、この300体の爆撃機の空爆による
瞬間的な犠牲者数は史上最大であっただろうとの結論を出した。

The Tokyo bombing opened the curtain on an orgy of destruction in the final months of the Second World War that included dozens of similar raids on Japanese cities, and culminated in the atomic bombing of Hiroshima and Nagasaki in August. When the droning of bombers stopped on 15 August, almost 70 cities had been reduced to rubble and perhaps half a million people were dead.
東京大空襲は、第二次世界大戦末期の数ヶ月にわたる破壊の祭りの幕を開けた。
日本の他の十数都市も空爆を受け、ついに8月、広島そして長崎への原爆投下へと達したのであった。
8月15日、爆撃機のプロペラ音が止んだ時には、
70近くの都市が瓦礫の山と化し、おそらく50万人が命を落とした。

Some thought that Imperial Japan, like Nazi Germany, deserved retribution for the bombing of Shanghai and Chongqing, the Rape of Nanjing and other war atrocities across Asia. But others asked where had the moral high ground gone since US President Franklin D Roosevelt described the 1940 Nazi blitzkrieg of British cities as “inhuman barbarism”?
上海や重慶への空爆や南京大虐殺、そして
アジア諸国で残虐行為をはたらいた大日本帝国は、
ドイツのナチスの様に、その報いを受けるに値すると考える人々もいる。
しかし、1940年のナチスによる英国各都市への空爆を
フランクリン・D・ルーズベルト大統領が
非人道的な野蛮行為と表現していた頃はあったはずの
敵よりも優れていたはずのモラルは、いったい、
どこへ行ってしまったのだと問う人々もいるのだ。

If the bombing of Dresden a month earlier than Tokyo had produced a ripple of public debate in Europe, “no discernible wave of revulsion took place in the US or Europe in the wake of the far greater destruction of Japanese cities”, wrote Mark Selden, a historian at Cornell University.
東京の一ヶ月前に行われたドレスデン空襲は、ヨーロッパで
徐々に論議の輪を広げていったが、
「ドレスデンよりも遥かに壊滅的であった日本の都市への空爆について
アメリカでもヨーロッパでも嫌悪感が波立つ音は聞こえなかった」
と、コーネル大学の歴史学者Mark Seldenは書いている。

Yet today, unlike Hiroshima or Nagasaki, there is no publicly funded museum in Japan’s capital to commemorate the night of 10 March. The Tokyo government, urged on by a small group of private citizens, began compiling an incomplete list of victims in 2010. A small memorial squeezed into a corner of Yokoamicho Park in the city contains their names, next to a charnel house with the mixed ashes of thousands who died.
それなのに、広島や長崎とは異なり、
こんにち、日本の首都に、公的資金によって建てられた
3月10日の夜を追悼する博物館は存在しない。
東京都庁は、少数の民間人によるグループの度重なる要請により
2010年に、やっと、未完成であった犠牲者リストの編纂に作手した。
何千もの犠牲者の骨灰が混じり合った納骨堂の横、
横網町公園の隅っこに押しやられた小さな記念碑に
犠牲者の名前は刻まれている。

Tokyo Now and After The Air Raid

German Chancellor Angela Merkel today reminded Prime Minister Shinzo Abe of the need to face up to the past. In a speech in Tokyo, Ms Merkel said those who close their eyes to history are “blind to the present”, a quote from a famous speech by the late German president Richard von Weizsacker.
ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、今日、安倍晋三総理大臣に
過去の歴史に向かい合う必要性を説いた。
東京での演説で、メルケル首相は、
歴史に目を瞑る者は「現在にも盲目である」と
故リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領の有名なスピーチから引用した。

Tokyo lacked the emotional or financial resources to properly mourn the victims after the war, says Bret Fisk, a Tokyo-based novelist who writes about the 1945 raids. Later, there was no appetite for a political fight with Washington, Japan’s new Cold War ally. Remarkably, Japan awarded the architect of the 1945 raids, US General Curtis LeMay, its highest prize in 1964 for helping to reconstruct Japan’s Self-Defence Forces after the war.
東京には、戦後、精神的にも経済的にも犠牲者をきちんと悼む余裕が無かったと、
東京に居住し1945年の空襲について執筆中の小説家ブレット・フィスク氏は語る。
その後は、冷戦時代の仲間であるアメリカ政府と政治的に争う気にはならなかったのだ。
驚くことには、日本は、1945年の空襲を企画した米国陸軍大将カーチス・ルメイに、
戦後1964年、日本の航空自衛隊育成に協力があったかどで
勲一等旭日大綬章を授与している。

Plans for a museum became bogged down in controversy in the 1990s. Conservatives said the plans were “anti-Japanese and “self-masochistic”. The decision infuriated survivors. Tokyo had no stomach for reminding people of the horrors of war, said survivor Katsumoto Saotome, who was 12 when the bombers arrived. He set up a private fund to build the Centre of the Tokyo Raids and War Damage, and helped launch a lawsuit for compensation. The suit was dismissed in 2009; government lawyers said that since Japanese civilians had equally experienced severe hardship during a time of national emergency, no particular group could receive special treatment, says Cary Karacas, a specialist on aerial bombing at the City University of New York.
記念博物館の計画は1990年代に論争の中、行き詰まった。
保守派は、その計画が、反日であり、自虐的だと言い、
その決定に、生存者達は激怒した。
東京には、人々に戦争の恐ろしさを忘れさせないようにする度量が無いのだ、と
爆撃機が現れた当時12歳だった早乙女勝元氏は語る。
氏は、一般市民の募金を募り
東京大空襲・戦災資料センターを開設し、また、
賠償訴訟を起こす手伝いもした。
訴訟は2009年に却下された。
政府側の弁護士が、日本国民全員が等しく国家の非常時に艱難辛苦の
体験をしたのであって、一部の集団だけが、特別な計らいを受けることはできない、
と主張したからだと、ニューヨーク市立大学の空爆スペシャリストCary Karacasさんは言う。

The dwindling band of survivors of the Great Tokyo Air Raid met at the weekend to demand the event is properly memorialised. Mr Saotome says he accepts they face an uphill fight. He says that after all these years, he still doesn’t even like to say the say the figure of 100,000 people out loud – it’s too impossibly large.
年々減っていく東京大空襲の生存者たちは、
大空襲が、きちんと、追悼記念されるようにと、この週末に寄り会う。
早乙女氏は、厳しい戦いに面しているのはわかっている、と言う。
氏は、語る。
これだけの年月が過ぎても10万人という数を声に出して言う事が出来ない、と。
あまりにも莫大な数すぎるのだ。

“They were all individuals,” he said. “They had all been talking to their families hours before they died.”
「それは、みんな、一人一人の人なんですよ。
亡くなる数時間前まで普通に家族と喋っていたんですよ。」

***

東京大空襲・戦災資料センター
http://www.tokyo-sensai.net

***

Great Tokyo Air Raid

驚いたのは、女性に人気の大衆紙Daily Mailでも
空襲直後と現在の比較写真や動画に、
数人の生存者の体験談を豊富に加えて大きく報道していたこと

The bombing raid that killed more than Nagasaki – and the world forgot:
Then-and-now pictures reveal the night 100,000 died in massive US firebomb attack on Tokyo

「長崎原爆より多くの犠牲者を出しながら世界に忘れられていた空襲:
当時と現在の比較写真が明かす米軍による東京大空襲で10万人が死んだ夜」

– Exactly 70 years ago, more than 100,000 people were killed in a Tokyo air strike during the Second World War
– Came as U.S. bombers dumped cluster bombs and destroyed a fifth of the Japanese capital in just one night
– The attack was more deadly than Nagasaki but received little attention as Tokyo rebuilt itself quickly after the war
– New then and now pictures have been released showing how Japan recovered following Second World War

・70年前の今日、第二次世界大戦 東京大空襲で10万人以上が殺された
・米軍爆撃機の落としたクラスター爆弾は日本の首都東京の1/5を破壊
・長崎よりも破壊的な攻撃だったにもかかわらず戦後東京が迅速に復興したため殆ど注目されなかった
・新たに公開された当時と現在の比較写真から見る第二次大戦後の東京の回復

( 記事の一部のコピペに意訳を付けます )
Where earlier raids targeted aircraft factories and military facilities, the Tokyo firebombing was aimed largely at civilians, in places including Tokyo’s downtown Shitamachi area, where people lived in traditional wood and paper homes at densities sometimes exceeding 100,000 people per square mile.
これ以前の空襲は、軍需工場や施設を攻撃目標としていたが
東京大空襲の標的は殆どが、木造家屋が立ち並び場所によっては1平方マイル10万人が暮らすほど人口密度の高いに下町の一般市民であった。

The bombing campaign set a military precedent for targeting civilian areas that persisted into the Korean and Vietnam wars and beyond. But the non-atomic attacks have been largely overlooked.
この空襲が前例となり、朝鮮戦争やベトナム戦争でも引き続き
一般市民の暮らす地域が攻撃の対象となってしまったが
原爆以外の攻撃は殆ど注目されなかった。

Around 334 bombers were used in the raid and exhausted residents chose to pull blankets over their heads and sleep when air-raid sirens blew instead of heading to shelters turned icy by an unusually cold winter.
This meant that there was huge human carnage with the smell of burning flesh even making the pilots grab oxygen masks to stop themselves from vomiting.
空襲には334体の爆撃機が参戦し、疲労困憊していた市民達は
空襲警報が鳴っても、平年よりも寒い冬の凍える防空壕に行くより
布団の中に、頭ごと、もぐりこんで眠ることを選んだのだった。
そのため、大殺害の規模は甚大となり、肉体の燃える匂いに、
爆撃機の操縦士は酸素マスクを被って、吐き気を抑えるほどだった。

***

Bombing of Tokyo

一方、
高級紙 テレグラフの記事は、「ガラスのウサギ」作者 高木敏子さんへの
インタビューを中心に、美しい桜の花とお花見宴会の様子
( 桜の季節の日本旅行ガイド記事へのリンク付き)と
その桜の木の下に埋まっている犠牲者を対比させています。

Bombing of Tokyo: The mass graves under the cherry blossom – Telegra
「東京大空襲 : 桜の花の下の共同墓地 」

記事の〆コピペと大意
Printed in 1977, Mrs Takagi’s book that recounts her experiences as a child, as well as a plea against any further wars, is called The Glass Rabbit.
Translated into eight languages, the book has sold nearly three million copies around the world and Mrs Takagi has given 1,657 lectures.
“It was madness that Japan kept fighting after Italy and then Germany surrendered,” she said. “I want the world to know what happened here in Tokyo. And I want people to know that when a nation has poor leaders, lots of people will die. And that’s as true today as it was 70 years ago.”

高木さんが子ども時代の体験と二度と戦争を起こさない様にとの願いを綴った
著書は「ガラスのうさぎ」は8ヶ国語に翻訳され世界中で300万冊近くが売れ
高木さんの講演は1657回に上る。
「イタリアとドイツが降参した後に日本が戦い続けたのは狂気です。
私は、世界中に、ここ東京で何が起こったか知らせたいのです。
そして、人々に、知っていただきたいのは、国のリーダーがダメだと
多くの人が死ぬということです。それは、70年前でも今でも同じなのです。」

***

BBC News | WWII fire bombing of Tokyo by US remembered 70 years on

東京大空襲から70年 語り継ぐ記憶の取り組みを取材しました。(15/03/09)

昭和天皇、東京大空襲後の御視察/Great Tokyo Air Raid

東京大空襲・新事実 Bombing of Tokyo : New Foundlings

***

【おすすめの本】

東京大空襲を忘れない – 瀧井宏臣

小学校高学年くらいから読める様にフリガナ付きでありながら
大人の読み物としても遜色ない様々な生存者の体験記録をまとめた本。
著者のお母様の住んでいらした所と通っていた小学校が
偶然、完全に私個人と重なるので驚くとともに、
一層、体験談が心に沁みました。

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***

こちらのサイトも、ぜひ、どうぞ

東京大空襲 写真紀行

拡大閲覧には、ご注意ください

Bombing of Tokyo

東京大空襲も戦災も戦争体験も,絶対、風化させないこと
体験者が日々減るなか、次世代に引き継ぐことの重要さを痛感します。

【追記1】
上に、BBCのニュース動画を貼りました。
下のリンク先からも同じ動画を見れます。

WWII fire-bombing of Tokyo by US remembered 70 years on
http://www.bbc.co.uk/news/world-asia-31809257

【追記2】
Japan: Tokyo WWII firebombing marks 70th anniversary

【追記3】
GHQから守った戦禍写真=東京大空襲撮影の石川さん-遺族「若い人に見てほしい」

【追記4】
「東京大空襲」から70年 どんな空襲だったのか 早稲田塾講師・坂東太郎のよくわかる時事用語